2021年4月例会

劇団朋友

公演

劇団朋友 吾輩はウツである

 

   原作:長尾 剛「吾輩はウツである」(PHP研究所)

   脚本:瀬戸口郁

   演出:西川信廣

 

劇団朋友 吾輩はウツである

 明治36年(1903)4月、小泉八雲が辞任したことで学生たちの不満うずまく帝大に、夏目金之助(のちの漱石)が講師として赴任する。不穏な空気の中、学生たちの冷たい視線に晒される金之助は、毎日、不満と苛立ちを抱えながら教壇に立っていた。さらに、失恋で人生をはかなむ学生・藤村操が目の前に現れ、金之助の気持ちはますます不安定になっていく。

 そんなとき、一匹の小さな黒猫が夏目家に迷い込む。心が病み始めた金之助は、その黒猫と会話をし始めるが……。

 妻と猫と金之助。おかしな三角関係を軸に、不世出の文豪誕生を描くドラマ。

劇団朋友 吾輩はウツである

≡≡≡ キャスト ≡≡≡

劇団朋友 吾輩はウツである

吾輩

()

 今本洋子

夏目鏡子 

平塚美穂

夏目金之助

芦田昌太郎

(COME TRUE)


井上哲次郎

(学部長)

小島敏彦

良吉

(講師)

進藤 忠

寺田寅彦

(講師)

小泉真義

てる

(女中) 

西海真理

ふさ

(金之助の姉) 

まきのかずこ


魚住淳吉

(帝大生)

寺内淳志 

(J.CLIP)

小山内薫

(帝大生) 

野田 裕

岩波茂雄

(帝大生)

渡辺 聖

安部能成

(帝大生) 

村上和彌

藤村

(帝大生)

本田玲央


猫③

マツ 

木野しのぶ

猫②

シロ 

水野千夏

猫①

クロ 

小宮山徹

劇団朋友 吾輩はウツである

劇団朋友 吾輩はウツである

+αアンサンブル

長町美幸

 

+αアンサンブル 

敦澤穂奈美

猫④

ムサシ 

石川惠彩


漱石と舞台と『吾輩は猫である』   原作者 長尾 剛

 夏目漱石はウツ病だった。――というのは、事実である。

史実において最終的にその診断を下したのは、日本精神医学界の当時の重鎮・呉秀三だった。そして、それを聞かされた妻の鏡子が、症状を少しでも和らげようとして、寺田寅彦や高浜虚子らに外出の誘いなどを頼み込んでいたのも、事実である。

その一環として、虚子が「気晴らしになれば」と、長文の執筆を漱石に依頼した。そして誕生したのが、漱石のデビュー作にして最高ヒット作の『吾輩は猫である』だった。

だから『吾輩は猫である』は、よく読み込んでみると、猫の飼い主・苦沙弥先生の「中学生相手に本気で喧嘩する」といったような「滑稽ながらも尋常ならざる言動」が、ウツの症状としても、見て取れる。読者は、苦沙弥の言動を笑いながらも、その奥に潜む漱石の「ウツの発散」を感じ取るはずだ。

それはさておき、『吾輩は猫である』の人気ぶりは、相当なものだった。当時は、多くの雑誌や新聞でさまざまな小説が発表されていたが、その中でも『吾輩は猫である』の人気は、群を抜いていた。

そして、とあるプロモーターがその人気に目をつけ、『吾輩は猫である』を舞台化したいと、漱石に働きかけてきた。それが、明治三十九年の九月。『坊ちゃん』『草枕』などを次々発表し、漱石がノリにノッていた頃である。

 

劇団朋友 吾輩はウツである

漱石も、この舞台化には、原作者として大いに興味をそそられたらしい。許諾を求めて訪れたプロモーターに、即OKを出した。

その時の状況を、漱石は虚子に宛てた手紙の中で、こんなふうに報告している。

「猫が芝居になろうとは思わなかった。上下二幕とはどこをする気だろう。僕に相談すれば、教えてやるのに」(九月十三日付)

ここで面白いのは、漱石が舞台の演出に興味を持っており、この芝居に自分も一枚噛みたがっている心情が、読み取れることである。

じつは漱石は、英国留学の際に、決して潤沢とは言えない留学費用から色々と算段して、いくつもの舞台を見物している。漱石としては「英国仕込の舞台センス」を発揮したいといった気持ちが、あったのだろう。

 もしかしたら漱石は、この『吾輩はウツである』の舞台も「僕も関わりたかったのに……」といったヤッカミを少々覚えながら、天から観ているのかもしれない。


会場

日程 

 

広島市民劇場

 

安佐南市民劇場

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アステールプラザ(大)

 

安佐南区民文化センター_

 

413()

414()

 

420()

421()

 

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13:00

 

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13:00

 

18:30

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18:30

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希望日締切     座席シール発行

 

後援:広島市・広島市教育委員会