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原作=エウリービデース 修辞=高橋睦郎 演出=高瀬久男
コリントスのある屋敷から
女の嘆く声が聞こえてくる……。
『さあ、まっすぐに怖ろしいことへつき進もう……女と生まれた身ではないか。
善いことにかけてはまったくの力なし、けれども、悪いことにかけてなら、何をやらせてもこの上ない上手と言われる、女と生まれたこの身ではないか』
自らの運命を嘆き、呪い、そしてメディアは、復讐を決意する。
『この私をかよわい女、いくじのない女だと、誰に思わせておくものか』
キャスト
久し振りのギリシア悲劇はまさに今を語る力で描くこととなりました。 演出=高瀬久男
目に見えるものは説明でしかないのかもしれない。そう思うことがある。あるいは何事か企まれた末の結果だと。それに較べて耳から入るものは不思議と今である。今そのものが感じられるのである。
今から二十年程昔、ギリシアのエピダウロスシアターを訪ねた時のこと。紀元前四世紀に作られた一万四千入収容の大野外劇場。夏にはギリシア悲劇が復活上演されているという古代劇場である。私は見ることはなかったのだが、客席の最後部に坐り、舞台中央で発せられる声や音に耳を傾けていた。そして驚いた。見えるといっても表情まで捕えることは難しい距離でありながら、声や音はしつかり耳に届く劇場構造。古代、演劇は聞くものであったのか、と妙に納得し、装置も無い舞台で語られたことばをどのように聞いていたのだろうかと
古代。この世に神はいる、そう信じられていたという。神の存在。それが神話のことなのか、実際でのことなのか、どちらにしろ信じられていたことは確かなようで、ギリシア悲劇はその神を描く神話が元となって生まれた。神の世界、人間の世界、さまざまなキャラクターが入り組んで、時に信じられないことが平気で起こる。神は自由で我盤だ。それにもまして入間は身勝手だ。実際のところ神話は人間が作り出したという。人間はきっと神話の中に世界を映し、神の中に入間を見ていたのかもしれない。捉え難い人間社会をなんとか理解するために。
ことばは声によって語られた。語る声は時間と場所を飛び越えて、確実にある状況や話を伝え続けた。例えギリシアのことであろうと、紀元前の話であろうと、まさかと思われることであろうと、声が今そのものであるかぎり、声によって語られることは、今まさに起こっていることとなる。声が今ある空気を震わすかぎり、今、現在を刺激し続けるのである。 (公演パンフレットより部分抜粋)
●安佐南区民文化センター |
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10月29日(木) |
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18:30 |
10月30日(金) |
13:00 |
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●アステールプラザ大ホール |
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11月2日(月) |
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18:30 |
11月3日(火) |
13:00 |
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上演時間 2時間(休憩なし)
=スタッフ=
原作=エウリービデース
修辞=高橋睦郎
演出=高瀬久男
音楽=金子飛鳥
振付=田井中智子
美術=伊藤雅子
照明=勝柴次朗
衣裳=太田雅公
音響=高橋巖
ヘアメーク=Eita
演出助手=渡邉さつき
舞台監督=井川学
制作=麻生かほり
プロデューサー=秋山佐和子
企画・製作=幹の会+リリック
後援:広島市・広島市教育委員会